会話が苦手と感じて [雑感]
どちらかと言えば会話が苦手な部類の人です。
なぜ苦手と感じるかを少し考えてみました。
会話の単語を調べると・・・。
会話とは「会話は話題の伝達を目的とせずに、話すことで共通の価値観を共有したり、共通の時間を分かち合ったりすることに着眼点があるものである。」
昔から会話は流れていってしまうイメージが有るのですが
伝達を目的としていないというからそのイメージがあながち間違いではないと感じています。
逆に伝達を目的としないから難しいんだろうと言うのが原因なのかもしれないと感じます。
ついつい会話で時間をとっているのだから無駄にしないにはという思いが有るんだろうなと思います。
相手に意味が有る事を話そうと思うし、相手にもそれを求めてしまう。
これは自らハードルを上げてしまっていると言うのが分かります。
会話に何かを求めない事としようと思います。適当に話をしてみようと思います。
きっかけが出来たらとにかく相手に気持ち良く話をして貰うようにしようとも思います。
なぜ苦手と感じるかを少し考えてみました。
会話の単語を調べると・・・。
会話とは「会話は話題の伝達を目的とせずに、話すことで共通の価値観を共有したり、共通の時間を分かち合ったりすることに着眼点があるものである。」
昔から会話は流れていってしまうイメージが有るのですが
伝達を目的としていないというからそのイメージがあながち間違いではないと感じています。
逆に伝達を目的としないから難しいんだろうと言うのが原因なのかもしれないと感じます。
ついつい会話で時間をとっているのだから無駄にしないにはという思いが有るんだろうなと思います。
相手に意味が有る事を話そうと思うし、相手にもそれを求めてしまう。
これは自らハードルを上げてしまっていると言うのが分かります。
会話に何かを求めない事としようと思います。適当に話をしてみようと思います。
きっかけが出来たらとにかく相手に気持ち良く話をして貰うようにしようとも思います。
さがす [雑感]
子どもの遊び場に「ウォーリーをさがせ」が有りました。
昔探した事は覚えています、いつ頃だったんでしょう。
よくある子どもの雑誌の探すクイズと言うのは、見本と全く同じのを探すモノが多いですが
ウォーリーをさがせは特定の特徴をもった人をさがすという事になります。
だた見つけるというよりは考える・想像する事が必要です。
私の知っているウォーリーを探せは、服とメガネは変わらない前提ですが、
ストーリー的に変化(洋服屋に寄って服を買いましたと言った)するような形にすれば
さらに難易度があがって面白いのではと思います。
日常も仕事も探す事が重要になってきます。
問題点を探す、使えるモノを探す。
探す条件は、イコール(=)、ノットイコール(≠)、範囲(< , >)です。
難しいのは時間の経過とともに変わるモノを考えなければならない場合です。
プログラムで言えば、比較文の右辺が変数という事。
瞬間的にはAでも時間の経過とともに変化してBになるものです。
今課題を与えられています。
その課題を解決する為の報告書を出すわけなのですが、
複数の人が報告書を出し取り組む事になります。
今すぐの状況では実現は出来ないのですが、他の人が変化させる事で可能になる可能性が有ります。
今回の報告書は期待を込めて書きたいと思っています。
昔探した事は覚えています、いつ頃だったんでしょう。
よくある子どもの雑誌の探すクイズと言うのは、見本と全く同じのを探すモノが多いですが
ウォーリーをさがせは特定の特徴をもった人をさがすという事になります。
だた見つけるというよりは考える・想像する事が必要です。
私の知っているウォーリーを探せは、服とメガネは変わらない前提ですが、
ストーリー的に変化(洋服屋に寄って服を買いましたと言った)するような形にすれば
さらに難易度があがって面白いのではと思います。
日常も仕事も探す事が重要になってきます。
問題点を探す、使えるモノを探す。
探す条件は、イコール(=)、ノットイコール(≠)、範囲(< , >)です。
難しいのは時間の経過とともに変わるモノを考えなければならない場合です。
プログラムで言えば、比較文の右辺が変数という事。
瞬間的にはAでも時間の経過とともに変化してBになるものです。
今課題を与えられています。
その課題を解決する為の報告書を出すわけなのですが、
複数の人が報告書を出し取り組む事になります。
今すぐの状況では実現は出来ないのですが、他の人が変化させる事で可能になる可能性が有ります。
今回の報告書は期待を込めて書きたいと思っています。
等価交換 [雑感]
今の自分は過去の経験によって作られている。
同じ環境に長く身を置くと得られる経験が少なくなってくる。
大きく経験を得ようとする為には、環境を変える事が必要。
※この環境というのは、場所の事では無くて、もっと大きい意味と思って頂きたい。
しかし、環境を変える為には何かが必要というのが分かる。
ポテンシャル、お金、人脈、経験(能力) ・・・。
外的要因で自分が望まなくて環境が変わってしまうのを別にすれば
いずれかの何かを使って環境を変える事となる。
鋼連の等価交換、じゃないが、何かを得る為には何かが必要。
今、自分が得たいモノと差し出せるモノが何かを考える必要が有ると感じている。
同じ環境に長く身を置くと得られる経験が少なくなってくる。
大きく経験を得ようとする為には、環境を変える事が必要。
※この環境というのは、場所の事では無くて、もっと大きい意味と思って頂きたい。
しかし、環境を変える為には何かが必要というのが分かる。
ポテンシャル、お金、人脈、経験(能力) ・・・。
外的要因で自分が望まなくて環境が変わってしまうのを別にすれば
いずれかの何かを使って環境を変える事となる。
鋼連の等価交換、じゃないが、何かを得る為には何かが必要。
今、自分が得たいモノと差し出せるモノが何かを考える必要が有ると感じている。
石井さんのブログ「静かに見る、ということ」を読んで感じた事 [雑感]
石井さんのブログ「静かに見る、ということ」を読んで感じた事
行間が読めないという状況は、すでに行間では無くて、行自体が読めていないと気が付く必要が有ると感じる。
しかし、行間が読めていないと思ってしまう時点で、さらに差が広がっていく。
社会人で有る程度の年齢になるとそう思う行動をしている人がかなり多い。
はたして自分が大丈夫なのかは冷静に振り返って見る必要が有る。
とにかく謙虚な気持ちになる事が大事。
素直に行が読めないんだと思えれば、真剣に話は聞く事になると思う。
石井さんの言うように、子供には考えさせる前に、状況をきちんと見る事を教える事が大事だと思う。
行間が読めないという状況は、すでに行間では無くて、行自体が読めていないと気が付く必要が有ると感じる。
しかし、行間が読めていないと思ってしまう時点で、さらに差が広がっていく。
社会人で有る程度の年齢になるとそう思う行動をしている人がかなり多い。
はたして自分が大丈夫なのかは冷静に振り返って見る必要が有る。
とにかく謙虚な気持ちになる事が大事。
素直に行が読めないんだと思えれば、真剣に話は聞く事になると思う。
石井さんの言うように、子供には考えさせる前に、状況をきちんと見る事を教える事が大事だと思う。
今いる環境がベストなのか? [雑感]
今いる環境がベストなのか?
津留さんの本に、今いる環境がベストにならない限り次のステージには進めないという事が書いてありました。
はたして今いる環境がベストなのか?
自分でも分かっていながらそれを避けているようなところが有りました。
最近太ったと言いながら体重計に乗っていないのと同じです、覚悟をして考えてみる事としました。
自分では次のステージに進むべき状況になっているのにも関わらず
進む事が出来ていないと思っているので・・・。
(どちらかと言えば次のステージに進めそうな案件が有ると、外的要因で進めていない状況)
今の現状を冷静に考えると、似たような仕事を長年続けていると、受動で有る限り、
あたらに得られる事は少なくなっています。
正直、これに対して不満を言うのは自然現象に対して不満を言っているの差が無いのかもしれません。
(雨が降ってきた事に対して、雨が嫌だなと言っている事と違わないと言う事)
自分が楽しそうなのが来る事を望んでいるだけで、自ら動いていないのが良く分かります。
と言っても、流れている川と同じなので、流れに逆らうのは得策では無いと思います。
今いるポジションから目標とするポジションへ、何だったら周りの反対無く進められるかを考えて見る事とします。
これをやっても無ければ、もしかしたらこのステージが本当に終わりなのかもしれません。
逆に、見つかればそれにチャレンジする事が次のステージなのかもしれないとも思っています。
とにかく、今いる環境がベストなのかよく考えたいと思います。
つまり違う何かを得られる行動をとっていないのが、今いる環境でのやり残しのような気がします。
津留さんの本に、今いる環境がベストにならない限り次のステージには進めないという事が書いてありました。
はたして今いる環境がベストなのか?
自分でも分かっていながらそれを避けているようなところが有りました。
最近太ったと言いながら体重計に乗っていないのと同じです、覚悟をして考えてみる事としました。
自分では次のステージに進むべき状況になっているのにも関わらず
進む事が出来ていないと思っているので・・・。
(どちらかと言えば次のステージに進めそうな案件が有ると、外的要因で進めていない状況)
今の現状を冷静に考えると、似たような仕事を長年続けていると、受動で有る限り、
あたらに得られる事は少なくなっています。
正直、これに対して不満を言うのは自然現象に対して不満を言っているの差が無いのかもしれません。
(雨が降ってきた事に対して、雨が嫌だなと言っている事と違わないと言う事)
自分が楽しそうなのが来る事を望んでいるだけで、自ら動いていないのが良く分かります。
と言っても、流れている川と同じなので、流れに逆らうのは得策では無いと思います。
今いるポジションから目標とするポジションへ、何だったら周りの反対無く進められるかを考えて見る事とします。
これをやっても無ければ、もしかしたらこのステージが本当に終わりなのかもしれません。
逆に、見つかればそれにチャレンジする事が次のステージなのかもしれないとも思っています。
とにかく、今いる環境がベストなのかよく考えたいと思います。
つまり違う何かを得られる行動をとっていないのが、今いる環境でのやり残しのような気がします。
何を見てそう思ったのか [雑感]
何を見てそう思ったのか
たとえば一目惚れ。
一目見た瞬間に恋をする事になるという事から、
見た時に瞬時に判断をしていると思うのだがそれが何なのかが気になる。
一目惚れとまでいかなくても、芸能人を見て良いなと思う事、この商品が欲しいと思う事
など多々あるが、その後、ブログを読んだり、見たりとした過程を踏むと変わる事が有る。
具体的には、好きだなと思った芸能人(具体的にはモデルさん)がいても
、気になってブログを読んでいると不快感を覚える時が有る。
それに対して、スポーツ選手を良いなと思った場合は、
その人のブログや本を読んでも感情に大きな変化が起こる事が少ない。
それは、外見よりも姿勢などから判断をしている事が大きいのではと思う。
そう考えると見たと言うのが、外面的なモノを見た場合と、内面的なモノを見た場合とで
全く別のモノを見ている事になると思う。
常に自分が何を見て判断をしているのかを考えないと、表面的な部分で判断をしてしまっている事に
気が付けないし、判断をした自分の正当性を守る為に、あとで理由づけの行動をとらないとも限らない。
それは外見だけでは無くて、人がとった行動に対しても同じだと思う。
本質を見る事ができるように何をすれば良いのか少し考えさせられる。
たとえば一目惚れ。
一目見た瞬間に恋をする事になるという事から、
見た時に瞬時に判断をしていると思うのだがそれが何なのかが気になる。
一目惚れとまでいかなくても、芸能人を見て良いなと思う事、この商品が欲しいと思う事
など多々あるが、その後、ブログを読んだり、見たりとした過程を踏むと変わる事が有る。
具体的には、好きだなと思った芸能人(具体的にはモデルさん)がいても
、気になってブログを読んでいると不快感を覚える時が有る。
それに対して、スポーツ選手を良いなと思った場合は、
その人のブログや本を読んでも感情に大きな変化が起こる事が少ない。
それは、外見よりも姿勢などから判断をしている事が大きいのではと思う。
そう考えると見たと言うのが、外面的なモノを見た場合と、内面的なモノを見た場合とで
全く別のモノを見ている事になると思う。
常に自分が何を見て判断をしているのかを考えないと、表面的な部分で判断をしてしまっている事に
気が付けないし、判断をした自分の正当性を守る為に、あとで理由づけの行動をとらないとも限らない。
それは外見だけでは無くて、人がとった行動に対しても同じだと思う。
本質を見る事ができるように何をすれば良いのか少し考えさせられる。
子供に怒った先に何があるのか [雑感]
子供に怒った先に何があるのか
知人の子供(5歳)が悪さをして友達に軽いけがをさせるという場面に出くわしました。
意図的にけがをさせようと思っていた訳では無く、不運な要因が重なったからなのですが。
しかし、知人(親)は、もの凄い勢いで怒るという選択を取りました。
怒られた知人の子供は泣いて謝っるという結果になりましたが、謝っている先は友達にではなく親でした。
それを見て、怒った事は子供の為になったかの疑問を感じました。
怒る事で友達の親に対してお詫びの気持ちを示しをしたとは思います。
だから間違っているとは思いません。
しかし、子供は怒られた子供は、怒られたという記憶だけが残ったのではないかと感じています。
悪い事をした、ダメな事をしたという事を認識出来ていなかったのではないかと・・・。
もしけがをさせた事が悪い事と思えれば、友達の心配をし謝ったと思います。
それにこれまでにも行為自体は行っていたと思います、
つまり不運が無ければ怒られる事が無かったと思います。
そう考えると怒った先にはマイナスの結果しかなかったのではないかと思います。
子供を怒った後に自分で考えさせる事はしていましたが、
怒られた事が影響し考えられる状況にとてもあるとは思えませんでした。
怒る前にその状況を正しく理解させる事が必要だったと思います。
今回であれば、ちゃんとけがをさせてしまった状況を見せて、
何が要因だったのか考えさせ、自分から謝る気持ちを出させる事が必要だったんだろうなと思います。
知人の子供(5歳)が悪さをして友達に軽いけがをさせるという場面に出くわしました。
意図的にけがをさせようと思っていた訳では無く、不運な要因が重なったからなのですが。
しかし、知人(親)は、もの凄い勢いで怒るという選択を取りました。
怒られた知人の子供は泣いて謝っるという結果になりましたが、謝っている先は友達にではなく親でした。
それを見て、怒った事は子供の為になったかの疑問を感じました。
怒る事で友達の親に対してお詫びの気持ちを示しをしたとは思います。
だから間違っているとは思いません。
しかし、子供は怒られた子供は、怒られたという記憶だけが残ったのではないかと感じています。
悪い事をした、ダメな事をしたという事を認識出来ていなかったのではないかと・・・。
もしけがをさせた事が悪い事と思えれば、友達の心配をし謝ったと思います。
それにこれまでにも行為自体は行っていたと思います、
つまり不運が無ければ怒られる事が無かったと思います。
そう考えると怒った先にはマイナスの結果しかなかったのではないかと思います。
子供を怒った後に自分で考えさせる事はしていましたが、
怒られた事が影響し考えられる状況にとてもあるとは思えませんでした。
怒る前にその状況を正しく理解させる事が必要だったと思います。
今回であれば、ちゃんとけがをさせてしまった状況を見せて、
何が要因だったのか考えさせ、自分から謝る気持ちを出させる事が必要だったんだろうなと思います。